今回ご登場いただく方は、長野県青年会議所をはじめ、長野県商工会連合会など県産業界の数々の要職を務められ、諏訪圏工業メッセ創立に際しても多大な尽力をされました。株式会社イツミ代表取締役会長 五味光亮氏です。
インタビュー
五味会長はメッセの創設に深く関わっているとお聞きしています。諏訪圏にメッセが立ち上がったその背景からお話を聞かせてください。
まず諏訪圏域に、いろいろなものづくりの工場が集積していたということがあります。明治大正時代からの製糸工場、昭和の精密工場の疎開によって、日本でも数少ない工業の集積地帯になっていました。うちの会社は1961年、父親と一緒に創立しましたが、ここ原村を選んだのもそれが理由でした。創業当初、クリーニング屋のプレス機の製造には、鋳物づくりとメッキ加工の技術が大変重要で、そのどちらも諏訪圏域には揃っていたのです。鋳物は製糸から、メッキは金型精密から、それぞれ培ってきた技術と工場があり、これは県内を見渡してもほかにありません。
諏訪圏が工業集積地帯だったこと。それが御社創業のきっかけだったんですね。
そうです。それと、私はいま84歳ですが、若かった当時、原村の青年団から始まり、茅野の青年会議所の立ち上げにも関わりました。そのうちに青年会議所の長野ブロックの指導力開発委員長を任されるようになり、大元の日本青年会議所の会議にも参加しました。同じ時期に政治家の麻生太郎さんもいらっしゃって懐かしい思い出です。また、その日本青年会議所のなかでクリーニング業界に関係する会員を集めて、150名の会員で部会をつくりました。私がその部会長を勤め、JC会館の建設委員も務めました。
自社の経営をしながら、地域や産業のために早くから全国的に活動されていたんですね。
6市町村をひとつにという大きな動きは、メッセ創設の原動力でもあったとお聞きしています。
私たちはメッセのために、ひとつにまとまりましたが、さらに将来を見据えて、メッセ以外にもいろいろ催し物ができるような「南信イベント会場」をつくりたいという夢がありました。そんな会場ができれば、工業はもとより諏訪・南信の地域発展にもっと役立つのではないか、と。長野県の行政に働きかけたこともあります。
壮大な構想から生まれたひとつの結晶が諏訪メッセの開催だったんですね。もっと沢山貴重なお話を伺いたいのですが・・・これからのメッセに期待することなどをお聞かせください。
いま、メッセを通して、もう一度、諏訪圏をどうするかという根本的な議論がなされるといいと思います。それぞれ自社の工場を守るというのはもちろん大切だけど、それだけだとちょっと夢が少ない。若い人たちを中心に、諏訪圏域の将来を考えるという議論ができるようになれば、地域はもっと発展をする可能性があります。
若い人たちに、何かアドバイスがあればお願いします。



〒391-0107 長野県諏訪郡原村11865




