諏訪圏工業メッセ25周年WEB企画の第一弾は、これまでの歴史をよく知るお二人からお話を伺いました。どういう経緯でこのメッセが誕生したのか、どのように変化してきたのか、四半世紀に及ぶ歴史を振り返りつつ、その社会的な意義について触れていただきました。
<対談者>
長野経済研究所 理事・調査部長 小澤吉則氏
諏訪圏ものづくり推進機構 常務理事 小坂和夫氏
インタビュー
まずは主催者の立場から、そもそもなぜ「諏訪圏工業メッセ」が生まれたのか、その背景からお聞かせください。
小坂:工業メッセが生まれる約10年前にはバブルと呼ばれた熱狂的な好景気状態から建物や車などが爆発的に売れていました。諏訪圏は東洋のスイスと呼ばれた精密加工が盛んで時計やカメラ、オルゴール産業などが地域経済を牽引していました。
産業形態は大手企業が販路を担い、協力工場という形で中小企業が傘下に入り、積極的な設備投資を行い技術・品質・コスト面で他社との差別化を展開、自社拡大に向けノウハウを隠しあたかも鎖国のような閉鎖的な事業活動が行われていました。
当時、企業数は3、000社、売上は1兆円を超えていました。
バブル景気は絶頂期の1991年に崩壊しました。あまりの好景気に、いつ崩れるのかと疑心暗鬼に陥り、金融機関の貸し渋りや、設備などの価値が下落しました。
さらに、2001年にはIT・家電のバブルが崩壊、諏訪地域の売上は大きく▲40%ダウンの6,700億円まで下落しました。
この時期に相前後して大手企業はコスト面から低賃金の海外にものづくりの生産拠点を移行し、諏訪地域の一部の中小企業も同行しての生産、技術、品質管理に対応しました。(今でも諏訪地域企業の150社程度は海外に拠点や出先窓口などがあります。)
これら経済の大きな変動に伴う産業の横ブレに対し、地域の中小企業としてもグローバルな考えを意識し始める一因となりました。
出荷額約40%ものダウンは大きいですね。
小坂:とても大きかったと思います。これに不安を抱いた諏訪市内企業で、何とかしなきゃならないと2000~2001年「諏訪市工業展」を開催しました。翌2002年には諏訪圏域に拡大し「諏訪圏工業メッセ」が創設されました。同じ精密加工業とは言え、隣の会社が何を作れるのか、技術レベルや特長などが不明で、相互協力など全くできません。
「先ず企業同士で知り合うこと」が当初の合言葉でした。
その背景には、①大手依存の中小の経営体質からの脱却②企業相互連携の重要性③自社保有スキルの深堀(ニッチでもトップ)などがあり、前向きに捉える諏訪地域特有のものづくりDNA精神が生かされたからと思います。
最初から諏訪圏ものづくり推進機構(以下、スワモ)は関わっていたんでしょうか?
小坂:2002年のスタートはいわゆる産学官金(企業、行政、商工会、金融機関、国)などで構成された実行委員会で運営されていました。
その後諏訪地域6市町村合併構想の中で、工業を担う組織として諏訪圏ものづくり推進機構が発足しました。
しかし合併問題が頓挫し、スワモは工業メッセの主管業務を担うことになりました。
メッセに長く携わってきた長野経済研究所様の立場から、メッセ創設の意義をお聞かせください。
小澤:25年前、諏訪圏工業メッセが創設された背景には、日本経済と地域経済の双方が大きな転換点を迎えていたという事情があります。特にデフレの波の中で、大手製造業を中心にグローバル競争に打ち勝つために海外へ出ていきました。諏訪圏は、時計産業を源流とする精密加工の集積地として、切削、プレス、電子、金型など多様な超精密・微細加工技術を持つ中小企業が数多く存在していましたが、当時は「隣は何をする人ぞ」というほどに相互の技術・強みが十分に見通せず、地理的には集積していながらも、情報の可視化・共有・連携の基盤が弱いために“集積としての機能”が十分に発揮できない側面がありました。このような経済環境と地域状況の中、諏訪圏工業メッセは、単なる展示会ではなく、地域の産業集積を再構築し強化するための戦略的な取り組みとして創設されたことに意義があります。
それは地方の展示会としては画期的だった?
小澤:そうですね。当初から産・学・官・金が集まり、技術や情報を交換し合う「場」を提供するプラットフォームとして設計され、“外に開く”機能と同時に“内をつなぐ”連携の機能を果たしてきた点が重要です。そしてこれまでの“待ちの受注”型の姿勢から脱却し、新技術・新分野への進出や国内外とのマッチング機会の拡大を図る、いわば「待つから攻める」戦略を明確に掲げました。この事業戦略の転換によって、中小企業が自ら販路をつくっていこうという“攻め”の姿勢に転じました。こうした企業の意識転換を後押ししてきた点に、メッセならではの役割があったものと考えています。
地域の連携と産業構造の再構築が大切なキーワードですね。
小澤:それと、メッセは地域の技術力を「SUWAブランド」として再編し、対外的に明確に示す役割も果たしました。“集積をブランド”へ昇華しようという試みです。個々の企業の得意分野や加工ノウハウがメッセという共通プラットフォームで可視化され、地域内での補完関係や分業・協業の可能性が具体化していきました。メッセ創設は、いわゆる地域ブランドの先駆けといえます。
さらに、メッセに対して、先見の明として強く感じているのは、小中学生や高校生が参加できる仕組みをつくったことです。これは工業専門展示会として全国的にも稀な取り組みです。メッセは地域の子どもたちがものづくりに触れ、産業への理解と関心を深める教育の場となっています。子どもたちを育てるのは、実は、真の意味での産業振興策なんです。技術文化の継承とともに「次世代の人材」が将来にわたって続いていく土台として、メッセは機能していると思います。産業人材の育成は、企業だけではなく、地域や行政にとっても大きな課題ですからね。
さて。次に、メッセの25年間を5つのステージに分けて総括していただけるということで、小坂さんから解説をお願いします。
小坂:メッセは先ず根底に2つの大きな狙いを置いています。1つはビジネスを主眼として、地域を売り込むことそして、世情の変化を見据え企業の進化を目論むことです。
これを土台にして、5つのステージごとの動きを整理しました。下の表をご覧ください。
これは、諏訪地域の産業を持続的に発展させるための成長戦略としてのロードマップと位置づけてきたものです。
単なる展示会ではなく、「SUWAのものづくりを未来へつなぐ産業プラットフォーム」という視点と考えています。
第1ステージは過去に遡って作成しています。
効果金額について直接経済効果と企業の受注実績金額を合算して評価しています。

こうやって俯瞰すると、その時代ごとに対応されていることがわかります。
このようなステージを日本の経済状況と照らして、小澤さんのご見解をお伺いしたいと思います。
小澤:まず第1ステージでは、ITバブル崩壊という激動の中、「技術発信の場」としてメッセは産声を上げました。創設当初、会場が特徴的な旧東洋バルブ工場跡地に設けられ、地方では最大規模の工業展示会として注目を集めました。
第2ステージに入って2008年のリーマンショックでは、またも日本経済が打撃を受けます。それゆえに、地域企業にとっては販路開拓や取引先拡大の重要性が増して、メッセの意義は一層高まったと言えるでしょう。
第3ステージに入る2011年には東日本大震災でまさに日本中が大きく揺れ動きました。それでも2013年アベノミクスによる円安への転換を背景に、輸出産業の持ち直しや企業収益の改善が進み、製造業を基盤とする諏訪地域にも追い風が吹きました。
メッセは出展社数400社超・来場者数2万7千人規模へと成長し、多くの中小企業が具体的な商談・受注を得る“実効性の高い展示会”として定着しました。特に、スワモを中心とした産・学・官・金の連携強化が進み、技術交流・人材育成の拠点として地域経済の底上げに寄与した点は大きいと評価できます。
第4ステージ2017年からの前半は順調なものの、2019年、米中貿易摩擦の激化、2020年、新型コロナの世界的拡大で日本経済は急減速し、長野県でも主要産業である観光・製造業が打撃を受けました。人が集まってはいけないコロナ禍に対して、人を集めなくてはいけないメッセ。この難局を乗り越えるため、メッセに携わる皆さんはそのアイデアと熱意と行動力によって、Web開催など柔軟な形式へ切り替えました。情報発信と商談機会を途切れさせなかったのは、地域経済の落ち込みを和らげる役割を果たしました。
第5ステージは、やはり会場移転がいちばんのポイントです。2023年以降、これまでの会場施設の老朽化に伴い、岡谷市民総合体育館とテクノプラザおかやが新会場となります。2024年の出展数359社・来場者1万8千人超という規模は、コロナ後の地域経済が回復基調にあることの象徴です。2025年は改修工事の影響でイレギュラーな6月開催でしたが、約340社が出展し、1万5千人の来場者が訪れました。さらに子ども向けの体験型企画を増やすなど、将来の担い手育成を視野に入れた取り組みを強化しています。
あらためてこの25年間の経済環境は日本も地域も大変だったんですね。
小澤:振り返ると、本当に大変なことが続く中、メッセはどんな局面でも負けずに、しっかりとやってきたと思います。
諏訪圏工業メッセは、単なる展示会ではありません。中小企業の新規受注・商談機会の創出、県内外からの来訪者による宿泊・飲食などの直接的経済効果、学生・子どもへの技術教育と地域人材の育成、海外企業や都市部企業とのネットワーク形成、といった多面的な効果を積み上げてきました。
特に、時計、電化製品、自動車といった分野を通じて培われた高度な精密加工技術が集積する諏訪地域では、メッセでの技術発信が企業同士の新たな取引のきっかけとなり、地域の「ものづくりクラスター」の競争力維持に直結しています。近年では、医療・航空宇宙・環境エネルギーなど成長分野への参入支援とも連動し、地域産業の多角化・高度化に重要な役割を果たしています。
時代に合わせて多面的なメッセージを発する展示会はほかにあるのでしょうか?
小澤:多くの展示会は、だいたい最初から特定の分野にフォーカスして企画されているケースが少なくありません。それに対して、全体を捉えながら、その中の一部として特定の分野にスポットを当てるというメッセのやり方は、全国的に見ても、とってもユニークです。これからもやはり成長産業を追いかけて、先を走っていただけるんだろうと思います。
メッセ主管として、小坂さん、その辺の方向性はいかがでしょう
総括として、メッセが地域産業へもたらしたものをお聞かせください。まずは小坂さんから。
小坂:総合的な観点から、メッセは地域を牽引するエンジンのような役割を果たしています。以下のような要素が複合的に作用し、全国でも稀な、ニッチトップを基軸とした「強い中小企業集積地」となりました。メッセ来場者は、出展者とのマッチング実施で何がニッチで何がすごいのかがよく理解でき相乗効果を発揮できるような空気が生まれてきました。
地域にもたらしたもの、大きくは二つありひとつ目は諏訪ブランド振興で、産業を地域全体で捉える重要性の気づきです。
① 新規取引・販路拡大の加速 自ら営業し、販路を広げる文化が醸成された
② 技術力の底上げと新分野進出・技術革新 身近に「見せる場」があること
③ 地域ブランド「SUWA」の確立 諏訪地域全体の価値向上と外部信頼の高まり
④ 産学官金の連携強化 地域全体で「企業を育てる環境」が形成された
⑤ 地域経済の活性化と雇用創出 直接的・間接的な地域経済への波及効果
⑥ 地域課題を解決するプラットフォーム化 メッセは「地域産業の総合基盤」
二つ目は将来をにらむ人材育成です。
メッセ開催では子供が参加するのは自然なものと捉えていますが、外部からは珍しいことと聞いています。現状での人口減少や高齢化、産業人口の低下も絡み一歩先に備える重要性の気づきです。メッセ来場者がブース見学後、域内企業に就職した事例もあります。
小澤さんから、総括をお願いします。
小澤:小坂さんのお話しと重なる部分も多いのですが、私なりにこれまでの成果を整理して述べさせていただきます。まずメッセは長く続けているということがとても重要で、その結果「地方では国内最大級のイベント」と評価され、すでに地域の技術力の象徴的なプラットフォームとしての地位を確立しています。メッセによって、諏訪地域の企業が培ってきた超微細加工や独自の製造技術が広く認知され、企業ブランドの構築だけでなく、地域全体のブランド力向上につながっています。さらに、メッセは小中学生・高校生・大学生など若い世代も訪れる「工業専門展示会」として全国的にも珍しく、次世代人材の育成と地域産業への興味喚起にも寄与していると言えます。これにより育まれたSUWAブランドという価値が次の世代にも継続的に伝承されている仕組みは、地域ブランドの持続性にとって大きな意味を持っています。
総じて言えば、メッセを通じて地域産業の技術力が広く発信されることで、諏訪地域全体の認知度や評価が高まり、外部からの信頼や投資意欲が向上しました。商談機会の増加により企業の受注や協業が進めば、製造業を中心とした産業の競争力が強化され、地域内で生まれる付加価値も拡大します。また、来訪者の増加による宿泊・飲食などの周辺産業への波及効果により、地域内消費が増え、経済循環が活性化します。さらに、展示会を通じて若い世代が地元産業に触れる機会が増えることで、将来の担い手確保にもつながります。メッセのこうした連鎖的な効果により、諏訪地域は産業・雇用・人口の面で持続的な発展の礎を築いてきたのではないか、と私は思います。
長野経済研究所としての支援スタンスもお聞かせください。
小澤:私たち長野経済研究所は、製造業の皆さまのように“ものづくりの最前線”で戦う立場ではありません。私たちの役割は、地域経済・産業の実態を把握し、意思決定に資する情報を提供すること、そして必要に応じコンサルティングなどの個別支援も組み合わせ、企業や自治体の実務を後押しすることです。こうした役割認識のもと、メッセの経済効果や出展成果を分析し、出展価値を高める、産学官とともに、産学官金のネットワークをつなぎ、地域ブランドの底上げに寄与したいと考えます。
地域に根差す企業の挑戦が、未来の長野県をつくる。私たちはその歩みを、これからも誠実に、そして全力で支援してまいります。
最後に、主管であるスワモの立場から、企業の皆様へのメッセージをお聞かせください。
小坂:現在、地域全体をあらゆる面で捉えると精密なものづくりを中心とした、自然、文化、観光、農業が多層的に繋がる地域であり、条件的にこれだけ揃った地域はなかなか見当たりません。
一方、直面する課題は人口減少や低労働生産性、産業の変化や変動、関税問題など外部要因の影響での不安定さや加えてデジタル化、環境問題対応の遅れもあります。
又、観光資源や高原野菜や花き栽培などの強味がある一方、産業連携が進まず価値が活用されていない状況にあり、過去引きずって来た「一つひとつ」の構造が残されています。
私は今「6市町村広域連合として工業・産業全体を考える仕組み」への転換期にあると強く感じています。工業メッセを通じて諏訪圏工業は、6市町村と言えど産業構造はひとつの工業圏で機能しています。
つまり広域で産業全体を考える仕組み作りが重要となります。
先の見えない時代だからこそ、地域・産業・組織といったあらゆる垣根を越え、前に回って地域一体で立ち向かう必要があります。
諏訪広域事業として工業支援の枠組みを加えて頂き、工業メッセ開催で培った知見を活用し活性化に取り組みたいと考えています。
「世界のニッチトップ拠点、諏訪の産業はキラリ輝きグローバルに広がる」を目指します。








