諏訪圏工業メッセ25周年WEB企画の第三弾。インタビューにご登場いただくのは、諏訪圏工業メッセの黎明期から関わってこられた渋江精密工業株式会社の取締役会長 渋江利明さんです。
インタビュー
渋江会長は、諏訪圏工業メッセの黎明期から関わっていらっしゃるそうですね。そもそも諏訪の地で、なぜ、このような動きが出てきたのでしょうか。
そうですね。それを話すには時代を少し遡って、50年前の諏訪地域のことを知る必要があります。1975年、私は東京から戻ってきたばかりでしたが、諏訪地域には時計やカメラなど精密機械の大手セットメーカーが数社ありました。それらの部品加工を手掛けるために、精密加工、熱処理、メッキ処理など数多くの工場が集まり、工業のインフラが出来上がっていました。
諏訪は精密工業の集積地「東洋のスイス」と呼ばれていました。
これまでと違う得意先へと新規開拓を迫られたんですね。
それまで部品製造の同業者は、同じセットメーカーに対して競合関係でしたから、当然ながら、自社の技術や設備を一切見せようとはしませんでした。しかし、このようなセットメーカー下請けからの脱却という流れの中で、たとえば、うちはこういう技術がある。そちらの技術と組めば、こういう会社に売り込みができる。うちが忙しいときに、応援を頼めないだろうか、と。このような情報共有や技術協力の必要性が生まれ、若い人を中心に動きが出てきたのです。この背景には、経営者の若返りと言いますか、私自身、父親から事業を継承した2代目ですが、諏訪地域で2代目への事業継承が進んできたこともあると思います。諏訪圏の製造業に対話しやすい環境が生まれ始め、おたがいに協力しようという機運が高まり、それが諏訪圏工業メッセの流れへ重なっていったのではないでしょうか。
メッセ創設にも渋江会長は尽力されたとお聞きしています
今から30年ほど前、諏訪商工会議所の工業部会で、私が部会長をたまたまやっていたところ、諏訪市の商工課が音頭をとって「諏訪市工業展」が2年間開催されました。その中で、諏訪市だけではなく、諏訪圏域でやろうという声が出てきて、私も仲間と一緒に6市町村を説得するために動きました。このメッセに出展することは、諏訪圏域に育った精密部品加工メーカーが営業範囲を全国や海外に広げるチャンスとなります。また部品加工のほぼ全てが諏訪圏域で完結するという工業インフラの優位性を活用できます。
そうして諏訪圏がまとまり、諏訪圏工業メッセが始まってからは、私は実行委員を10期務めさせていただきました。
そのようなご経験を踏まえ、メッセの特色を一言で言うとしたら・・・
地元の小学生に向けて、諏訪の工業についてお話する機会がありまして、その時に、諏訪圏の工業インフラのたとえとして「坐ったままマツタケを取るようなもの」と表現しました。普通ならマツタケを取るには山の中を探し回る必要があります。同じように精密部品を探す人は、この加工はあちらの県、この加工はこちらの県と会社を探し回ります。ところが、諏訪圏では狭い地域に優秀な技術を持つ会社が集まっています。目的の技術を探すのにとっても効率が良いんです。
出展することで具体的にどのようなメリットがありましたか。
最後に、今後のメッセに期待することは?
長野県の山の中の展示会に人を集めて、25年間続けてきたのは大変なことです。これから25年間続けば50年。そうなれば、もっと確立したブランドになると思います。当初は、来場者を増やすためにDM作戦や色々やりましたが、ブランド力がつけば、「やるよ」と告知するだけで沢山の方が訪れてくれます。これからのメッセに大きな期待を寄せています。





